July 13, 2005

名曲解説〜ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

コンポーザーXの名曲解説
    〜ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」


この曲はアントニーン・ドヴォルザーク

(1841〜1904)が
ニューヨークのナショナル音楽院の学長に就任し、

同地に滞在していた、1893年の5月

完成された作品。

ドヴォルザークはニューヨークの大富豪の妻であり、
ナショナル音楽院の創立者でもある、ジャネット・M・サーバー夫人に

ナショナル音楽院


学長と作曲の教授就任の依頼をされ、
ニューヨークに2年半あまりの滞在生活をすることになった。

その頃、ドヴォルザークは50歳をすぎ、
既に交響曲第8番、レクイエム、ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」などの
名作を発表していて、

作曲家としては絶頂期にあった。

またケンブリッジ大学から名誉博士号、

プラハの大学からも名誉哲学博士号、

科学・芸術アカデミー会員、

オーストリア皇帝からは鉄王冠章を贈られるなど

チョコの国民的作曲家として

国際的な名声を博していた。



最初は見知らぬ土地での生活に躊躇していたドヴォルザークであったが、

こうした要請を名誉であると思うところもあり、

結局、契約することにした。



サーバー夫人としては、

アメリカ独自の音楽文化の振興をはかろうと、

思っていることもあり、

そのためには国民音楽の創造

理解ある人物が必要と考えたのだ。

そこで、白羽の矢を立てたのがドヴォルザークであった。



ドヴォルザークはチェコの国民音楽の推進者として

理解されているのみならず、

世界的にもチョコの国民的作曲家として高名でもあった。

彼女はドヴォルザークが

この役にぴったり

であると思ったようである。



交響曲第9番 ホ短調「新世界より」はこのニューヨークの

ナショナル音楽院の就任した次の年(正確には4ヵ月後)の

1893年の1月ころから書き始められた。



彼はこの頃、音楽院の教育活動を通じて

アメリカの人々や音楽にも親しみ、

特に黒人霊歌には

これこそ”アメリカの作曲家が学ぶべき音楽”

と力説した。



それらのアメリカでの生活の影響が、

色濃く反映されている曲と言えるだろう。


ドボルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界から」



          コンポーザーX


コンポーザーXの怒涛のCD批評

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